2010年11月20日土曜日

30歳になりました。

みなさんお祝いのメッセージありがとうございました。
ブラジルの迎える30歳の誕生日は、これまでとは違った深~い、忘れられないものとなりました。

任地に一人で来て、孤独を感じることもあります。
でも、それは、きっと。

 自分が勝手に孤独だと、思い込んでいるだけだって思いました。

グァララペスでも祝ってもらいました。


生徒&先生と


  







カラオケ教室の仲間たち

 
















今も、自分探しをしています。これからも、自分探しをし続けるでしょう。

けれども、20代のときのような、
自分自身を否定し、 自分大嫌い  ということは少なくなってきているかな。

今の私を好きだと 感じられるようになってきているかな。


まだまだ、悩み続けるだろうけど、支えてくれる人がたくさんいることを実感しました。

うまくいかない と思うのは、人のせいではなく、
自分自身が種をまいて、引き起こしていることなのだと。
自分自身に与えられた、課題であり、試練なんだと。

昨日よりも、今の私を好きでいられるように、これからも 歩み続けていきます。

みなさん、こんな私を よろしくお願いします。










2010年11月18日木曜日

強い味方!!!

今週は、グァララペス&ぺナポリスの両校にシニアボランティアに巡回に来て頂きました。

一人で活動をしていると、だんだん何がいいのか、何をしたらいいのか、分からなくなってきます。
そして、負のスパイラルにはまってしまい。
何でもない、たいしたことじゃないのに、ひどく悩んでしまったり。
いいところさえも見えなくなったり。
現地の先生と、きちんと向き合って話すことができなくなったり。

でも。

シニアという立場から客観的に見てもらい。
背中をたくさん押して頂きました!!!

今は、個別に授業をしていますが、やっぱり授業にならない。
来年度から、一斉授業をする方向で話がまとまりました。

きっと、楽しくなれば、もっと喜んで授業に来るはず。
きっと、楽しければ、もっと日本語を話そう!!!って意欲的になるはず。
きっと、話すことに喜びを感じたら、仲間をタイセツにするというまとまりが生まれてくるはず。
きっと、伝えることに喜びを感じたら、彼らの未来が開けてくるはず(大げさかな)

せっかく、ブラジルに来たのだから、コミュニカティブな授業をしたいって思います。

それから。

現地の先生は、日本語もポルトガル語も堪能です。
それなりに努力をされて、勉強してきたんだと思います。

ポルトガル語で日本語を教えるのではなく、
日本語で日本語を教えるようになれればいいなって思います。
日本語学校ですもん。

今年度はもう終わります。
(ブラジルは11月が年度末になります。2ヶ月間の夏休みがあって、2月から新学期が始まります)

来年度、どんな方向に進むかは分かりませんが、強い味方がついています。
応援してくれる仲間や家族もいます。
悩むこともたくさんあると思いますが、
頑張らねば!!!です。

私の心強い味方。
これも一つの貴重な出逢いです。
ありがたいです☆

2010年11月17日水曜日

大事にしてもらってます!!!

毎週火・水曜日とぺナポリスに行きます。(火曜日は大人の生徒さんの家に泊まります)

今週は。

もうすぐ私の誕生日。

誕生日会を開いてくださいました。

サプライズです。

料理は生徒の保護者や大人の生徒さんの手作りです。










ピラフ、焼きそば、豚肉のから揚げ、サラダ。おいしかったです。











大きなチョコレートケーキに、バースデーソングを歌ってもらいました。
子ども、大人の生徒さん、先生です。


















そして、プレゼントも頂きました。
なんと、タオルには私の名前とぺナポリスの文字が刺繍してあります。














嬉しいです。泣きそうでした。

正直、ぺナポリスの出張はきついです。
毎週、5時半に起きて、約40分間のバスは立ちっぱなし。バスを乗り換え、1時間半揺られ、ぺナポリスに着きます。
午前、午後、夜、そして、次の日は午前、午後と授業があります。
昼ごはん、夜ご飯、お泊り、朝ごはん、昼ごはんとお世話になっています。

毎週交代で、3件の大人の生徒さんの家に泊まります。
受け入れるのは大変だと思います。気を遣ってるんだろうな~って思います。


私は、その期待に答えるだけの授業をしているのか・・・と申し訳なく思います。
キツイので、午前の授業を断ろうかな・・・って思ったりもしました。

でも、でも、でも。
こんなに愛されているんだなって思いました。
頑張らなきゃいけないけど、このままの私でいいのかなって思いました。

ぺナポリスは青年ボランティアの受け入れは初めてです。
学校がスタートして6年ほどです。

「家族と遠く離れての誕生日は初めてでしょう」と、温かい人たちです。
週に2回しか行くことができず、行事などに、ほとんど参加できませんが、
まるで、家族のようです。
いえいえ、もう、家族なのかもしれません。

一人で突き進むのではなく、
ぺナポリスの人たちの心に寄り添いながら、ゆっくり活動していけばいいのかなって思いました。

2010年11月15日月曜日

またまたやっちゃいました!!!

カラオケ大会がありました。
Shinjin 2というカテゴリーで出場しました。 出場者4人です。
今回は「時の流れに身をまかせ」を歌いました。
そして。














またまた、もらっちゃいました。
2位。
(ちなみに、1位はグァララペスの会長さんでした)

なんだかんだ言って、嬉しいもんです☆

今回の大会では、日本からいらした先生方が、審査員でした。
一人ひとりにコメントをくださいました。











まだまだ練習が足らんです。。。練習せねば!!!

そして、今回の大会では、『移民に関する歌』を何曲か聴くことができました。
「ああ、移民船」「花嫁移民」「移り来て百周年」など。

どれも、思いのある歌ばかりでした。もっともっと知りたくなりました。 
勉強せねば!!!


いろんな意味で、収穫のあった大会でした。




2010年11月12日金曜日

教師会~勇気をもらった②~

教師会のつづき。

これまでブログでも何回か書いたと思いますが。
移住から100年が過ぎ、日常生活だけでなく、家庭でも日本語を話す機会が減ってきました。
どの日本語学校を例にとっても、生徒の数が減少しています。

「今後、ブラジルの日本語学校、日本語教育はどうなっていくのか~?」

「現地の先生方はどう感じているのかな~?」

同じように思っていました。

「日本人会の中でも、数年前までは、日本語学校がメインと言ってもいいくらいの存在でした。
 でも、現在は、小さくなってきています。

 このままでは全滅になっていくと・・・

 学校がなくなれば、言葉がなくなります。言葉がなくなれば、文化もなくなっていきます。

 今、一歩 あゆまなければ」

とシニアボランティア。

みなさん、うなづいてらっしゃいました

そうなんですよね。

もちろん、寿司や盆踊り・・・といったものは残っていくかもしれません。

けれども、

学校がなくなれば、

学校があるからこそ、“伝わっていくもの”が消えていきます。

それは、日本語学校でしかできないことです。


またまた、ブラジルに来て悩んでいたことがすっきりしました。


現地の先生方と共有できたのが嬉しいです☆

そして、心強いシニアの先生。
私より一年早く、こちらで活動をされています。
シニアボランティアは授業は持たずに、広範囲にわたるノロエステ地区の学校を巡回し、全体を見てらっしゃいます。

見る目線も違うし、発言も的確!!!

今後、いい方向に進んでいきそうです。

2010年11月11日木曜日

教師会~勇気をもらった①~

先日、ノロエステ地区の教師会がありました。
1月中旬に行われる高学年林間学校(12歳以上参加の宿泊学習)について話し合いが行われました。

その後、アラサツーバ校の先生による講演がありました。 「ブラジルと日本の文化や習慣の違い」



勇気をもらいました。


ここノロエステ地区は移民の発祥地です。戦前に多くの日本人が移住し、荒地を開拓してきました。想像もつかないような苦労と努力をし、日本人は「勤勉、正直、まじめ、時間を守り、規律正しい」と尊敬されています。

そして、ここノロエステ地区は、勝ち組が多かったところだそうです。
第2次世界大戦が終わったとき、日本が勝ったと信じた人たちが多かったそうです。
 
(一方で、負け組みが多かった地区は、日本人であることを恥だと思い、日本人であることを隠すように、ブラジル人と同じような生活をしたそうです。なので、2世でも日本語を話していないそうです。)

勝ち組が多かったノロエステ地区は、自分たちが日本人であることを誇りに思い、日本語学校をどんどん作り、子弟の日本語教育に力を入れたそうです。今でも日本語学校があり、日本語があり、日本文化が多く残っています。

歴史が深く、先人たちの思いが深く、強い地区なんですね。
まだまだ勉強が足りません。もっと、知りたくなりました。

そして、先生が言っていた印象深かったお話。

「私にとって日本語はフォーマルなことばです」「日本語を話すとき、態度が変わります」と。

ポルトガル語で話しているときは、態度がルーズなるそうです。

でも、日本語に切り替わると。(特に目上の人と話すときは)
姿勢も正しくなり、ことばも丁寧になり。。。

「ことばの中に、態度やしぐさが組み込まれています」と。

確かに!!!納得!!!
ポル語(まだ話せないけど)や英語を話すときは、なんだか楽です。自分の意見も言いやすい気がします。
でも、日本語になると、相手を尊重したり、ことば遣いに気をつけたり・・・と何かしら、きちんと感があります。
これまで私はそれを、きゅうくつに感じてきました。だから、何度か海外に行きました。

でもここブラジルは、海外でも違います。日本人が努力を重ねて、築いてきたものがあります。
それはここに日本人がいる、いつづけるという“証”です。

日本語を勉強するということは、それまでもを含んでいるんだと!!!

むしろ、ことばを話せるようになるよりも、そのような態度だったり、しぐさだったり、いわゆる、非言語コミュニケーションが大切なのかもしれません。

ここ何ヶ月か悩んでいたものがスッキリしました。
日本で研修を受けて、分かっていたつもりではあったけど。
この国で日本語教育をする意味は、意義は何だろうって??
ブラジルで生まれ育った先生の考えを聞けて、よかったです。

それから、「ます形」を教える意味はどこに?
日本語を少し知っている2世、3世の方たちは、ます形は知りません。
自分自身が迷っているのに、自信を持って授業ができません。
生徒も不安です。。。

でも、もう大丈夫!!!

それをも含めて、授業などを通して、伝えていくことがタイセツだと勇気をもらいました。




2010年11月10日水曜日

幸せを感じなきゃ!!!

前回のブログで「鹿児島」のことがサンパウロ新聞に載っていたことを紹介しました。

ニッケイ新聞にも載っていました。カウンターパートがくださいました。











そして、この前サンパウロ新聞をくださった方が、「また別の記事がありましたよ」と新聞をくださいました。
サンパウロで、鹿児島大学の教授が坂本龍馬の講演会を行ったという記事。











ふと思いました。

お2人とも、私が鹿児島県出身であることを知っていて、「こんなニュースがあったよ~」と、私に伝えたくて新聞をくださると。
それは、私のことを考えているから、思っているからだ!!!って。

ブラジルの生活に慣れてきて、だんだん新鮮さが薄れてきました。
そして、いろんなことに、いらだちを感じたり、それを、人のせいにしたり。

でも、でも、違いました。
私の周りにいる人たちは、ちゃんと、私のことを思ってくれています。

いけませんね~。

日常生活の中の小さな喜びこそが幸せなのに、小さな喜びを感じることさえも忘れていました。


日本語教師養成講座で異文化に接したときのW曲線というのを思い出しました。

ハネムーン期 → ショック期 → 葛藤期 → 適応期 

ハネムーン期は終わり、今まさに、ショック期にいるんだな~


気持ちを切り替えて、いろんなことに対する見方を変えていかなきゃな!!って気付かされました。

2010年11月7日日曜日

日本語の新聞

ブラジルに日本語の新聞があります。サンパウロ新聞、ニッケイ新聞。
今回はサンパウロ新聞をご紹介します。














日本語の新聞を見るとなんだかほっとします。

ここブラジルでは、NHKがリアルタイムで放送されているため、番組表も。













ただし、12時間の時差のため、日本で「おはよう日本」が放送される時、ブラジルは“こんばんは”。


今回、どうしてもブログに載せたかったのは。我がふるさと「かごんま」に関する記事が。
ブラジルで「鹿児島大学同窓会が発足」というニュース。










こういうニュースは嬉しいものです。
私がブラジルへ来るきっかけになったのも、ある一人の女性との出会い。
彼女は留学生として鹿児島来られた方です。
彼女の両親は、鹿児島県出身。

鹿児島の人のつながりの強さを感じました。

「やっぱぃ、かごんまは よかとこじゃっど!!!」

2010年11月6日土曜日

電子レンジがきました。

我が家に「電子レンジ」がやってきました。
知り合いの方の知り合いが、使わないので・・・と下さいました。

ありがたい!!!
これで、ごはんをたくさん炊いて、冷凍できる。一人暮らしにはどんなに便利なものか。

感謝感謝です☆

2010年11月4日木曜日

イグアスの滝へ

イグアスの滝へ弾丸ツアーに行ってまいりました。(自分の元気さにびっくり!!)
同期のMonicaと、一足先にフォス入りしたエミリーニャとTaniaの待つイグアスへ。

サンパウロから15時間かけて夜行バスに乗り。よく寝たなぁ~。いつの間にか、フォスに着いていた(笑)

着いたらすぐに観光をするはすが。しゃべりまくる4人。4ヶ月ぶりの再会に、大興奮!!!
Taniaコンダクターのもと。まずは、日本食レストラン「都」へ。
久しぶりに親子丼を食べて、満面の笑み。











そして、いよいよイグアスの滝へ。約4キロになる滝。歩道を歩きながら、滝を目の前にする度に、「お~!!」と感動。

 

世界遺産はすごいです。マイナスイオンにも癒されました~。途中、ハナグマにも会い。



次の日は。最大のイベント(!?)
この滝にボートで突っ込みました。「キャーきゃー」と叫び声の嵐。
滝に突っ込んだときは、いつ息をすればいいのやら・・・
でも楽しかった!!!また乗りたいなぁ。











その後、バードパークに行ったり、おいしいアイスを食べたり。
あっという間に旅は終わり、帰る時間に。
エミリーニャとロンドリーナに。9時間の夜行バス。そこから私は6時間半かけてアラサツーバへ。そしてグァララペスへと帰りました。










私は、約2日間の滞在でしたが、大満足、星5つ☆☆☆☆☆ 以上の満足度のツアーでした。
心も身体もリフレッシュ!!!
何より、仲間と語れて、気持ちに一区切りついたような気がします。

「Tania旅行社」おすすめです☆☆☆


教師研修旅行 スザノへ

私が所属するノロエステ地区の教師研修旅行がありました。参加者は14名。
アリアンサのSheilaとアラサツーバ校のシニアボランティアと共に、同期仲間がいるスザノ日伯学園へ。
夜の10時頃出発し、貸切バスに揺られながら向いました。夜中にバスに乗るのは初めてでしたが、寒くて寒くて。長距離バスに乗るときは、毛布が出需品です!!

今回の研修旅行。いい勉強になりました。行き詰っているときに、他の学校の様子を知ったり、授業を見たりするのは、いい刺激になります。

なによりも良かったのは。
スザノの先生方とノロエステ地区の先生たちとの意見交換。教科書の選定、授業の進め方などなど熱い議論が交わされました。

3ヶ月経って思うのは。

私たちJICAボランティアがどんなに頑張って新しいこと、新しいやり方を取り入れても、現地の先生たちのが揺れ動かないと何の意味もないのでは??

今のやり方では・・・と私が思っても、それは現地の先生のやり方を否定することに。

非常に苦しい。

現地の先生たちが自分自身で気付かないと、私の思いが一人歩きしてるだけの気がします。

約100年が過ぎ、家庭で日本語を話す機会がなくなり、日本語学校は様々な問題を抱えています。これまでのような授業スタイルや運営では・・・。
やり方を変えていかないといけない時期に来ています。

いい議論ができたのでは・・・と思います。

これから、いい方向に向っていくといいです!!