人口2万7千人ほどの街です。
戦後移住地です。
学校の様子を2日間見ましたが、日本の小学校のような感じでした。懐かしい~
私が行ったときは、9月10日に敬老会をするということで、敬老会の発表の練習が行われていました。
ピラールの子どもたち、純粋で素朴な子たちばかり。
小さい子達は土遊び大好き! |
先生のお手伝いもします |
そして、何より日本語を聞くこと、話すこと、読むこと、書くこと、どれも素晴らしい!
文協の集まりでも、日本語を話す人たちばかりでした。
移住が新しいから・・・と言えば、そうかもしれませんが、決してそうではありません。
先生(日本人教師4名・現地教師2名)、親、文協(日本人会)の学校担当者が一生懸命だからです。
イキイキと輝いている生徒、学校を見て、新鮮な気持ちになり、せっかくの機会だからと思い、先生方や文協の学校担当者の方とたくさん話をしました。
みなさん、考えがしっかりしています。
文協の学校担当者のお話。
ここまで、学校が盛り上がるのに10年かかったと。
先生がいなくて、もう、学校をたたもうと思ったことも。
でも、日本語学校でしか学べないことがある!。だから、日本語学校が大切だと!
自分たちの孫、そのまた孫にも、非日系の人にもそれを学ばせたいと。
誰かに、どこかの機関にどっぷりと頼るのではなく、自分たちの足で、しっかり歩いていこうという意志があります。
そのために、全面的に先生方をバックアップしています。
そして、先生方もそれに答えるように、一生懸命です。
10年ほど勤めている日本人教師と現地教師が変わらずいることも大きいです。
これまで来た、日本からの先生たちも、それを後押しするように、たくさんのものを残しています。
だから、教材、カリキュラムもしっかりしています。
「子どもを育てる」ことに関しても温かい&熱い思いがあります。
確かに、先生の給料は安いです。
でも、そもそも、先生の仕事はボランティア精神がないと、つとまりません。
(人を育てることに、見返りや、誰かに認められたいとかがあっては、人は育ちません)
その気持ちが100%ありました。
そして、一丸となってます。
ピラールに行って思いました。
先生、文協、親の三つが一体となって初めて日本語学校が成り立つのだと!
日本から来た私にできることもあります。私にしかできないこと、私だからできることもあります。
でも、どんなに頑張ってもできないことってあります。そっちの方が多いです。
(気持ちを切り替えて、活動しています・・・)
組織的なこと。
継続性のあること。
学校を盛り上げ続けること。
これらは私にはできません。
ボランティアって何だろう?私の存在って?って思うことが多かったですが、少しからまった糸がほぐれたかな!?
最後に、久しぶりに鹿児島弁を使いました。
真ん中:鹿児島出身の1世の方。
左:かごんま出身の友人(現在ピラールで先生として活躍中)
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