2011年11月14日月曜日

一人の女性の発祥の地

先日、マンゴー畑に行くときに、82歳の女性の方も一緒に行きました。
この方は、長年、会館に住んでいて、掃除をしたり、日本人会のために働いていたそうです。また、日本語学校でも先生をされていたそうです。
ブラジル生まれの2世のですが、「日本人」として育てられ、日本人の心をしっかりと持っていらっしゃいます。とても冷静な方で、今のブラジルのこと、日系社会のこと、出稼ぎのことなどを客観的に見ておられ、お話して共感できるところ、学ぶところが多かったです。

この方が、マンゴー畑に行くときに、
「子どもの頃、このあたりに住んでいたのよね。確か、竹林があるあたり・・・」と。


少し行くとありました!!!
竹林。そして、マンゴーの木。家。








このあたりは、今では大きな牧場になっており、ほとんどがブラジル人所有の土地になっていますが、初期の日本人が戦前に入植したところだそうです。戦前に!です。
この方のご両親は昭和4年頃(1929年)ブラジルに来たそうです。
きっと、『さあ 行こう 一家をあげて 南米へ』というポスターを見て、成功して日本に帰ることを夢見たことでしょう。
そして、彼女はここで生まれ、育ちました。


日本人が入植したところには、たいてい、竹を植えていたそうです。
「竹林があるところは、日本人が住んでいたところだよ」と。
道を進むと、朽ちた家などがありました。
「ここには○○さんが住んでいたね。」

「この道を通って、ブラジルの学校にいったよ」と。
今でこそ車が通るためにきれいになっていますが、当時はもっともっともっとでこぼだったでしょう。















話を聞いて、また、竹林、マンゴーの木、家を発見でき、何ともいえない気持ちになりました。


この方、苦労したことを苦労したように話はしませんが、話のふしぶしに苦労の跡を感じました。日本人同士の争いもあったようです。女性だから・・・という差別もあったようです。
それでも、誰のせいにすることなく、語っていました。


一人の女性の発祥の地であり、家族の歴史、思い出、苦労がつまった場所。


ドラマの世界のことではありません。
本当にあった事実です。


この方の歴史に触れることができ、本当にありがたい気持ちになりました。



ブラジルに来て、いろいろな日系の家族の方と出会います。
どの家族もそれぞれにいろいろあるとは思いますが、とても家族のつながりを大切にしているなぁと感じます。祖父母、両親、子ども、孫、ひ孫・・・。

時代が変わり、○○人という壁が少なくなり、ブラジルの中でもグローバル化が進んでいます。
4世、5世の時代になりました。
日本語を話す世代も減り、名前にも日本語の名前がつけられなくなっています。それでも、彼らの「心」には、日本人として「何か」を感じます。うまく言えませんが、彼らと接していると、そう思います。

きっと、自分の先祖が日本人であり、どんな生き方をしてきたのか、家庭で語り継がれているんだなあと思います。また、親、祖父母の背中から何かを感じ取っているのでしょう。











やっぱり、家族っていいな~。

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